逢坂冬馬さんは気になっていたけれども読めていない作家の1人だった。2022年本屋大賞を受賞した「同志少女よ、敵を撃て」(早川書房)も読めていない。すでに文庫化されているにも関わらず。そんなぼくが、2025年10月に逢坂さんの最新作「ブレイクショットの軌跡」(早川書房)を読んだ。
発売日は2025年3月12日。すでに半年が経過していたわけだが、馴染みの書店ではメインに近いコーナーで面陳されていた。まだまだ売れている、そして売りたい作品であることの証左でもある。それだけ話題作だったわけだが、前情報は何もなかった。そもそも”ブレイクショット”が何を指していることすら知らなかった。とはいえさすがにビリヤードの話だとは思わなかった。頭の奥底でビリヤードの本がこれほど売れるわけがないだろう、と思っていたのだ。比喩だとしても、ワンチャン──くらいの期待はした。
さてなかなかに分厚い同書を読み勧めてみると、”ブレイクショット”が車の車種を表していることがわかった。でも、これが”カローラ”や”ベンツ”のように実在するものなのかはよくわからない。すぐに調べた。もしかしたら”ブレイクショット”が車に乗る人なら誰でもわかる”なにか”の象徴かもしれないし。程なくして架空ということがわかった。まあ野暮かもしれないが、取り残されるよりはマシだ。
600ページにも届きそうな(Amazonによると584ページ)及ぶ鈍器本(ソフトカバーだから殺傷能力は低そうだ)だから、いくつかの短い話、あるいは章立てで場面転換が行われる。その章ごとになんらかのテーマがあり、LGBTQやSNS、世界の紛争、人種差別に悪徳商法や悪事の隠蔽──2020年以降の社会情勢がふんだんに盛り込まれていた。もしかしたらテーマを詰め込みすぎと捉えてしまってもおかしくないほどに。しかし章ごとに分かれていることで読みやすく、それぞれの話は繋がっている。
様々な社会問題がテーマとなっているが、その中心には人間がいる。そんな彼(彼女)らの心情の変化や葛藤がきっちりと描かれており、社会問題をテーマとしつつも人間模様が秀逸だった。だからこそ読みやすかったのだろう。
平和な日本でぼんやりと日常を過ごしているだけだと、過ぎ去ってしまう世界で起きている様々な問題。ひとつひとつはもちろん大事なことだけれども、どこか他人事であるのは否めない。SNSでこういった問題が流れてきたとて「ふーん」「なるほど」「こんなことがあるのか」などとちょっとした感想はあったとしても、深く考えるきっかけにはならなかった。なぜなら当事者じゃないから。
それがどうだろう。物語を投じて手触り感が生まれると、ぐっと近づいたように錯覚する。非現実を現実へと一気に引き寄せる媒介。SNSでは滑りさってしまい気に留めていなかったニュース(あるいは問題)が、物語を通して自分のなかに入ってくるのだ。少なくともぼくは。
誰かが始めなきゃいけない。誰かが打たなければいけない。つまり──。その一打が、世界を少しだけこちらへ引き寄せる。
重くなってもおかしくない社会問題の話を散りばめているのに、読後に残るのは重さではなく“人”だった。終物語を通じて、なにか考えるきっかけを手にすること。働くとなぜか本が読めなくなるらしい世の中で、読書は「情報」以上のものを携えて、ぼくに気づきときっかけを渡してくれる。
それは、感動したとか、泣けたとか、そういう種類の話ではない。影響とか感銘を受けるとも違う感覚。これを誰しもが持っているものなのかはわからない。あたりまえなのかもしれないし、ぼく固有のものなのかもしれない。これから先もこの感覚は大事にしていきたく思う。


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